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杉田水脈議員の発言から考える生産性至上主義における社会の危険性

 

どうも、タコヤキです。

杉田議員のLGBTへの生産性がないという発言が炎上しています。

それらの炎上を見て僕が思っていることを書いていこうと思います。

 

 

杉田議員の発言について

 まず思ったのが杉田氏の言う「生産性」とはいったいどういう意味合いで問うてるのか。

 

 杉田氏はLGBTは子供を生まないから、生産性がないので税金を投入するべきではないと言っています。

 

 子供を生まない=生産性がない

 

 その発言からだと、上のような方程式ができあがりますが、これはいささか狭義的すぎではないかと僕は思います。果たして杉田議員がどこまで考えているかはわかりませんが。

 

 ただ単に子供を生まないから生産性がないというのは、あからさまにおかしな話です。子供いないけど、社会でものすごい納税している人だってたくさんいるわけだし。

杉田議員の発言は納税や仕事に関するような意味合いではないと思います。

 

 そう考えると杉田議員の発言はどこか不明瞭なんですよね。

 

 単に人口減少の問題だったら、子育て支援とかで子育てする意思がある人に税金を投入すればいいという話ですし。税金といっても何の税金なのかも不明。

 

 そう考えると杉田議員の発言はただのヘイトに近いもので(過去の発言を見てもそんな気がします)、問題提起なんて考えてないように思えます。

 

 しかも、LGBTは自らの意思でなったわけでもないし、子供を欲しがっている人だっていると思います。そういう面でも杉田議員の発言はひどいものです。言っちゃいけないことですよ。

 

 というわけで、杉田議員の発言は極めて不適切な発言だったと僕は思います。

 

「生産性」について

 僕が改めて考えてるのは「生産性」という言葉についてです。

 

 「生産性」ってなんですかね。

 

 お金を稼げる能力のことでしょうか。

 モノか何かを作れる人のことでしょうか。

 価値を提供できる人のことでしょうか。

 

 多分広い意味では上記に書いてあることの意味は少なからず包括されていると思います。

 

 生産性のないものには税金を投入するべきではない。

 

 つまりは価値を生み出せない人間。生産性を持たない人間は、税金を投入する必要はない。そんなことを杉田議員は言っているのでしょうけど、その「生産性」って国家にとって有益なものっていう定義なんだと思う。

 

 僕は生産性は現代でもまだまだ重要視されるべきだと思うし、非常に大切な指標の1つだと思う。しかし、国家のためというわけではない。杉田議員の発言だと、まるで生産性を持つ人間は国家のためにあるようにどうしても聞こえてしまうわけだ。

 

 僕はあくまで国家は人のためにあると考えているので、人の生産性をまるで国家の所有物のように考えているのが非常に違和感を感じる。

 

 国家のために役立つ生産性を持つ人間が重要視される。ある程度は仕方ないにしろ、この考えが強くなってくると、僕は恐怖しか感じない。

 

 裏を返せば、国家に役立たない生産性を持たない人間は必要ないというのが行き着く先になる。こうなると悲惨なものだ。ナチスホロコーストで一気にそれをやったわけだけど、それが自然的になっていきそうなところも怖いところだ。しかも自然的ホロコーストに当事者が気がついていない。無意識的ホロコーストとでもよぼうか。

 

 

 

 ところで、「優性思想」というものがあるがあれは人間には決して適応されない思想だと思う。

 優性思想は優性な遺伝子や人間だけがいればいいみたいな考えだが、優性なんてその時の時代でだいぶ意味合いが違ってくる。

 

 そのときに必要とされた能力が優性とみなされているだけで、ちょっと時代が違っていれば、その能力は優性じゃないのかもしれない。だから様々な価値観と多様性が重要になってくる。

 

 そもそも遺伝子も頭がいい遺伝子がずっと続くかといったら、必ずしもそうではない。

 

 行動遺伝学の本で読んだが、遺伝には平均回帰の法則というものがあって、どんな秀でた遺伝子でも時がたつにつれ、平均に近くなる傾向があるとのことだ。▼

www.takoyaki-blog.com

 

 だから、頭のいい人の親がいてもその息子の息子はボンクラだったりするのも、「平均回帰の法則」によるものだ。つまり、優秀な遺伝子だけ残していてもあまり意味がないのである。

 

 以上のことから、人間は多様な遺伝子と能力、資質を保存していくことが人類の最適な生存戦略であり、優性思想はそこからもっともかけ離れた戦略なのだ。

 

 わかりやすく言ったら、刀しか持っていない軍がいくら優秀でも弓を持った敵がでてきたら対応ができない。その時代で決められた優秀だけを育てたら袋小路に陥る可能生性がある。非常にリスクが高い生存戦略だ。

 

 話を戻すと杉田議員の言う生産性は狭義的すぎるし、その意味での生産性至上主義は国にとっても人類にとっても良いとはいえない。むしろ危険性が高い。

 

 生産性は確かに大事なんだけど、狭義な意味で傾注していくのは非常に危険な思想であると僕は思う。生産性が乏しい人だって突き放すべきじゃないし、ちっぽけでもいいから前に進んでいけばいいと思う。

 

 生産性よりも多様性を広げていったらいいなあ、と個人的には思っています。

 多様性で人間を拡張していけば、生産性は勝手についてくると思うんですよね。

 

 怖いのは目先の利益を優先しすぎて、排他的な人が増えることです。世の中なんて生きてて楽しいっていう人が増えていけばそれでいいんですよ。社会はそういう人を1人でも増やせるように何度も何度もデザインし直していけばいいんです。

 

 特定の人を排除していく社会は楽しくないですよ。椅子の奪い合いをするより、椅子を増やしたりするほうが楽しいです。

 

 それにしても立場を考えて発言して欲しいですね。本当に。

 

 今回は以上です。

ーそれでは、また。

 

 

 にしても水脈ってすげー名前。悔しいけどかっこいい。