努力はやらざるを得ないものであり、税金のようなもの。
どうも、タコヤキです。
最近ライターの仕事を頑張り、月商約4万ほど達成しました。
まだまだひよっこなのでこれからも頑張っていこうかた思います。
っていうか超久しぶりのブログですが、アクセス数的にはそんなに減っていないということに驚きです。みなさんありがとうございます。今回は雑談みたいな感じですが、少し落ち着きそうなので次からは映画の感想や本のレビューなどまたやっていきたいです。
さて、今回久しぶりのブログの内容は「努力」についてです。
僕は努力ほど扱いに困り、実態のない言葉はないと思っています。
そして、お前は努力していないから駄目なんだ!という考えが大嫌い。
結果でしか努力を測ろうとするタイプも苦手です。
「努力」ってなんでしょうか。
何かに打ち込むことだったり、苦手なものを克服することだったり色々ですよね。
僕は「努力」とはやらざるを得ない、税金のようなものだと思っています。
例えば、この2通りならどちらの方が「努力」したと思いますか。
A君「学費が払えず大学中退で年収200万から500万に上げた」
B君「大学には普通に入れ、大学院に行き年収700万」
どうですか。
どっちが偉いと思いますか。
辛い状態から這い上がったA君でしょうか。
けど、結果主義でB君の方が偉いと感じる方もいますよね。
これだと2人とも結果を出しているから基本的には世間にも認められますし、人前で話しても恥ずかしくありません。どちらも胸を張って「努力した」と言えるでしょう。
しかしこれがA君でうつ病になって引きこもってしまったとか、ブラック企業で過労で体を壊しそこから再就職できず非正規になったとか。
そうなったらきっと努力していない!と声高らかに言ってくる人が必ずでてくるでしょう。けど、それは僕は絶対に間違っていると思います。
多くの人は努力している。
人によって効率的な努力をができる人もいれば、がむしゃらに努力している人もいる。けど、努力しすぎて倒れたり休んでいる人もいる。
結果はそれぞれ違うし、努力の感じ方もそれぞれ。みんなが成果を得られるわけじゃない。だから努力していないから成功できないとかといった意見はおかしいです。だって、努力を測れる確かなものなんてないのですから。そもそも経済的成功よりも、今の生活からただ抜け出したいという人だっているはず。成功とかでゴールを勝手に設定して、努力していないだいるだなど勝手に決めつけないでほしい。
今結果が出ていない人、休んでいる人も皆努力の途中なんです。生きている限り努力は何かしらの形で必要になる場合が多いのですから。
そして皆が同じ努力ができるわけじゃないし、スタート地点も初期能力も何もかも違う。けどやるしかない。それが「努力」だと思います。
「努力」という名の税金は人によってなんの基準も設定もなく、勝手に決められます。
払えなくなる人も、有り余る人もいる。あまりにも理不尽な税金です。
けど、少しでも前に進むためにははやり努力という対価を支払う必要があります。
苦しんで払う人もあれば、喜んで払う人もいる。
努力というのはそれほど多義性のある言葉だと思います。
だから僕はなんでも「努力が足りない」とか「結果が出ていないのは努力していないから」という考えが嫌いです。育った環境も遺伝も千差万別なのにそんな言葉だけで済ますのはある意味失礼なことだとさえ思っています。
人間の能力の半分以上は遺伝と環境。▼
その配られたカードでやっていくしかないのです。
やらざるを得ないものが努力。少しでも前に進むためにスローでもやっていくものです。勝手な努力論で振り回されないように、今日も自分の努力をやっていきましょう。
今回は以上です。
ーそれでは、また。