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黒沢清出世作!サイコ・サスペンス映画「CURE」感想!

 


どうも、タコヤキです。

 

 前回の「クリーピー 偽りの隣人」の演出が面白かったので、他の黒沢清の映画も借りてきました。

 

 

クリーピー 偽りの隣人」の感想はこちらから。

www.takoyaki-blog.com

 

 

 

 黒沢清の映画って、Netflixでは配信されておりませんので、ツタヤで借りました。
 今回見た「CURE」です。この作品はサスペンスというよりも、精神系のような映画でした。

 

 

 考察が重要になってきますので、合う人と合わない人が多い作品だと思います。

 アマゾンプライムビデオでも配信されていましたので、そちらで見るのもいいかと。

 


 


~「CURE」はどんな人にオススメ?~
・考察が必要となる映画が好きな人
黒沢清作品が好きな人
・精神系の映画が好きな人

 


~どんな人には勧められない?~ 
・明確なストーリーが好きな人(ハリウッド映画とか)
・精神系の映画が好きでない人

 


~どんな作品が好きな人にオススメ?~
・ジャンリュック・ゴダール作品
・ミケランジャロ・アントニオーニ作品
・マジカル・ガール
(選ぶのすごく苦労しました)

 

 

ストーリーについて

 話自体は理解できますが、何を意味しているのかは人によってかなり解釈が変わってくる映画です。

 

 

 簡単なあらすじはこちらからどうぞ。

  CURE - Wikipedia

 

 

 こっから先ネタバレ全開でいきますので、回避したい人は戻る推奨です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  最終的には殺人示唆をしていた間宮が主人公の高部に殺され、間宮の殺人示唆の能力?を高部が引き継ぐようになります。

 

 これはラストシーンのウェイトレスとタバコのシーンでわかります。

 ラストシーンは高部がタバコを吸い、その火を見て、高部と話したウェイトレスが刃物を持って、厨房に行くところで終了します。

 

 ここでわかることは高部が間宮と同じように、殺人示唆の催眠術的なものをウェイトレスに施した可能性が高いです。

 

 しかし、これは間宮よりもより強力な力を高部が持ったということになります。

 

 間宮は殺人示唆した記憶は残っていませんし、自覚的にやっていたのかも微妙なところです。おまけに相手にある程度語り掛けなければなりません。

 これらは今までの間宮と殺人の関係から明らかだと思います。

 

 しかし、高部はしっかりと自意識を保ちながら、なおかつ相手に語りかけることなく、相手に殺人示唆を行います。

 

 間宮の能力を高部が完全にコントロールできるようになった、ということになります。

 

 何故こうなったのかという明確な理由は正直分かりません。

 間宮を殺したからなのか、蓄音機の音を聞いたからなのか。それは正確なことは描かれていません。

 

 話の終わり方的にはこのような形で落ち着きます。

 

 

タイトル「CURE」の意味とテーマは?

 

 結局この映画は何を意味しているのかは人によって解釈が違ってくると思います。

 

 以下は僕のかってな想像と考えです。

 

 この映画のテーマって、精神の開放みたいのが一番に想像できますし、僕もそうだと思っています。

 

 間宮にそそのかされた人間は誰もが不満を持っています。

 その不満は表には決して出していいようなものではありません。

 

 しかし、その精神を間宮が開放します。

 これで人を殺すわけですが、それで「あぁ、スッキリ」みたいな人はいません。

 後悔している人もいました。

 

 けれども高部だけは自意識を保ちながら、鬱病の妻を殺し、他の人間への殺人示唆を行います。

 

 これは社会性を保ちながら、自分の歪んだ欲望を満足させているという恐ろしい人物になると思います。

 

 まるでジョジョ4部の吉良吉影のようです。

 吉良は連続殺人鬼でありながら、平凡な日常を望む男です。

 吉良も社会性を保ちながら、己の歪んだ欲望を発散させています。

 

 「CURE」の高部の最後はジョジョの吉良に近い性質を持っていると思います。

 

 

 この映画のタイトルは「CURE」ですが、CUREというのは回復や治す、癒すなどの意味です。

 

 果たして癒された人物は誰なのでしょうか?

 

 間宮に関わり、欲望を開放させた人間のことでしょうか。

 それとも、高部のように社会性を保ちながら、欲望を開放するようになった人間のことでしょうか。

 

 もしくは、そのような形で精神を開放しない限り、人間の精神は開放することができないという意味でしょうか。

  

 確かに、精神を開放することで自分としては癒された状態になるのかもしれません。

 しかし、それは同時に社会的に異常を孕むこととなってしまうということなのではないかと思います。

 

 人間の精神に素直に従うと、社会や共同体からは異質で異常なものの扱いを受けます。だから皆、精神を自分のうちに押し留めておきます。

 

 その精神が内からはみ出ている人間を間宮は本能的に察知できたのかもしれません。

 

 そう考えると高部の最後は一番歪んだ精神のあるのと同時に、それが社会で人間が生きていくうえで必須のようなことなのかもしてません。殺人は許されませんが。

 

 鬱憤とした精神を内に留めて情緒不安定になっていた状態から、社会的にも問題なく適応し、なおかつ欲望を発散できる人間となった高部。

 

 歪ですが、確かに彼の精神は癒されたのかもしれません

 そう考えるとなんとも皮肉なタイトルです。

 

まとめ

 

 色々と書きましたが、「ちげーよばーかwww」って思う人もたくさんいると思います。っていうかむしろそのほうが多いのでは・・・。

 しかし、色々と考察できる映画ですので、考察が好きな人はぜひ見てみてください。

 色々な感想があって面白いと思います。

 

今回は以上です。

それでは、また。