日陰者の自分とキラキラした世界。自分を受け入れるということ。
どうも、タコヤキです。
なんか今朝に色々考えてしまい、結構憂鬱になってしまいました。すぐに元気にはなりましたけど。
だからなんだよ。お前の事情なんて知らねぇよ!って思われるかもしれませんが、その時考えた事をつらつらと書こうと思います。
僕は今仕事しているわけだけど、仕事自体は別にたいして面白いわけじゃない。
けど、死ぬほど嫌かと言われるとそうでもない。人間関係は悪くないし、残業もほとんどないし、給料も手取りで18〜20(第二新卒です)でまぁ可もなく不可もなくって感じ。
仕事内容は大企業のパシリみたいな仕事なわけだけど、そこまで上下関係もそんなに感じられない。
んで、そんな仕事環境の中で思うことがいくらかある。
大企業でスーツを着ているうちの社員は、それなりに毎日楽しそう。
仕事が忙しい時もあるけど、土日は自転車でツーリング的なことしたり、サバゲーとかやったりでみんな仲がよい。僕ら下っ端で、下請けみたいな存在でも誘ってくるし。
うちの大企業の社員は、まさに誰もが羨ましがるような「キラキラした世界」で、それなりに人生うまくいってるって感じだ。
けど、僕はそういうのに馴染めない。
みんなで楽しくしているよな「キラキラした世界」に入れない。
子供の頃からそうで、みんなが遊んでいる中で輪から外れるような存在だ。
決して孤独ではなく、全く誘われないというわけでもなかった。
けど、僕がその輪に入るとやっぱりどこか違和感を感じる。朝の女性車両専用に間違って入ってしまったかのようだ。
僕はここにいるべきではない。
向こうはそうとは思ってはいないかもだけど、僕はどうしてもそう感じる。これは、中学まで続き、高校ではついに馴染めなかった。おかげで高校の友達はマジでいない。大学も部活入ったけど、違和感はぬぐいきれず結局行ったり離れたりを繰り返している。
結局、自分はその「キラキラした世界」とはまるで縁がないのだろうし、空気が合わずに窒息する。みんなが憧れ目指しているような路線の先は僕が行きたいところではないのだ。
今朝はそんなことを思い、
暗くて地味な自分を受け入れて生きていくしかないと思うに至りました。
結局自分の本質は変えられないし、合わなければ、
ほどほどに周りとは適応したり、環境そのものを変えるしかない。
大人になるということは、自分を受け入れることなんじゃないのか。
30~40代くらいになると自分の器なんて嫌でも思い知らされる。
それは、絶望的なことだと捉えがちだが僕は違う。
やっと、本来の自分に戻れたのだ。
僕はこれからも地味で日陰な人間としてやっていく。
その中でできることと、やりたいことを両立させれ、人生を精一杯生きようと思う。
他人なんて知ったこっちゃない。もっと自分の心の声に耳を傾けるべきだ。
それが自分の最大の幸福になるのだから。
だから今日もやっていく。
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今回は以上です。
ーそれでは、また。