体罰は必要か不必要か?体罰は手段(ツール)に過ぎない。
どうも、タコヤキです。
たまには雑談というか、社会的?なブログでも書いてみようと思います。
テーマは「体罰は必要か、不必要か」
なんでこのこと考えたかっていうと、戸○ヨットスクールのことがまた、テレビで出ていたのが少し話題になったので、ちょっと色々考えてしまったからです。
基本的に僕は体罰は手段であり、必要ないならやる必要はないというスタンスです。
しっかりと親が教養やしつけの知識があって、良識がある人なら体罰という手段を使わずとも、子供をしっかりと育てられると思います。東大生で体罰を経験した人が多いなんてデータは恐らくないです。僕も周りで活躍したり、しっかり働いている人も体罰がメインで教育を受けたなんて人はいないです。
ですが、人の物を盗んだりとか、明らかな悪意で他人を傷つけたりし、それに歯止めが利かなくなっているというような状態なら体罰は必要になると考えます。
体罰はあくまで教育における矯正の面をもった、最終手段のようなものだと思う。
さらに、体罰をする側がそれなりの思想や教養がある場合にのみ有効だと考えています。
体罰の中には、単に腹いせに体罰をしたとかというケースもあります。そういうのは思想無き体罰で、ただの暴力です。教育とはかけ離れています。これは論外です。
昔は体罰が当たり前だったというのは、教育がままならず、国民全員に教育が行き届かない状態だったからです。要は教養がある人が少なかった。だから子供の教育には体罰という手段しか取れなかったと僕は考えます。
そして現代では、教育の水準が昔より高くなったので、体罰という手段を使うというケースが減っていったのだと思います。体罰を使わずとも言葉や勉強を通してしっかりと教育ができる状態になったからです。
そのような教育水準が高くなった現代で、体罰が必要になるというケースはそもそも親の教育が悪い。体罰が必要になるという段階まで、どういう教育をしていたのか。問題は体罰が必要だと思われる子供よりも、その子供の親のほうが問題だと思います。
現代で戸○ヨットスクールに入れざるを得ないような親はどのような教育を子供に施してきたのでしょう。本当に体罰が必要なのは子供ではなく、そういった子供の教育ができない無教養な大人側にあるのではないのでしょうか。
まぁ、それでも戸○ヨットスクールの場合は死者も出しているので擁護はできません。思想が前時代的すぎます。自分に都合が良い子供や正当化をしているようにしか思えません。
というわけで、体罰はあくまで手段であり、やる必要がないならやらなくていいという話でした。みなさんはどう思いますかね。鞭打ったほうが効率的っていう意見もあるでしょうね。
教育は国にとってデリケートで最重要課題だと思いますので、運営している人にはよく議論してもらいたいものです。
今回は異常です。
ーそれでは、また。