希望はあるか?村上龍「希望の国のエクソダス感想」
どうも、タコヤキです。
今回は村上龍さんの小説、「希望の国のエクソダス」の感想です。
電子書籍化はされていないようですね・・・
以下、簡単なあらすじです。
日本が不況の真っ只中な頃、中学生達がインターネットを使って、ビジネスを立ち上げ、日本の大人達から離れていく。って感じの小説です。
すでに18年前の小説になりますが、今読むと現実味が帯びているところもあって、面白かったです。読むにあたっては、多少の経済の基礎知識あった方が良いですね。それでもちんぷんかんぷんなところは多いですが・・・
ですが、それでもなんとか雰囲気は掴めると思いますし、ちゃんと読破できます。経済知識がないからといって臆することはないです。むしろ、勉強になっていいです。
以下からは僕なりの書評です。
独自経済圏の発足に関して
ある意味このタイミングだからこそ衝撃を受けた話。
中学生達は大人達から独立するために、北海道へ移住するのですが、そこで新規通貨のex(イクス)発行を行います。それも電子マネー的なもの。
これは現在でいう仮想通貨とやってることは同じです。
仮想通貨はビットコインが有名ですが、他の主要銘柄(Nem、リップル)もあれば、草コインという主要コインと比べて規模が小さいコインがあります。(xpとかswifdemandとかニートコインとか)
仮想通貨は地域の通貨を新たに発行することができます。現にエストニアではエストニアコインを作ろうという話になったし、沖縄でも沖縄コインを作る話もありました。
詳しくは落合陽一さんの本などにも書いてあるので気になる方は読んでみてください。↓
でも、これ考えてみたらすごいことです。
だって2000年の頃に独自経済圏を作り上げる話を書いて、2018年に仮想通貨やトークンエコノミーの普及で、この小説にも現実味が帯びはじめました。
昔に読んだ人でも、今、この小説を読むと身近な話に感じられるかもしれません。
ポンちゃんたちの希望
「この国には何でもある。だが、希望だけがない」
言わずとしれた、この小説の名言です。
しかし、最後らへんでポンちゃんが言っていたことを考えると、ポンちゃんたちが希望を見出したわけではないと思います。
ただ、この国の既存のシステムの中で生きるというのは、生存戦略的にリスクが高いからポンちゃんたちは、自分たちでネットビジネスを起こしたり、北海道で移住しています。
印象に残るのはポンちゃんの「少し疲れてしまった」という台詞。
ポンちゃんたちは大人を圧倒したり、金を稼ぎたいとは思っていません。既存のシステムから抜け出すために行動しました。そして、彼らは大人たちから見たら大成功を収めています。しかし、どこかポンちゃんは空虚でした。
恐らくですが、彼らにも目指す未来のビジョンは描けなかったのです。無論、大人たちも。
膨大な情報に常に接続され、常に成長を目指さなければならないという社会的構造。豊かになり、生物の根源的な欲望が満たされた社会での目的無き成長。
そんな目的無き状態での成長に、ポンちゃんたちは疲れたと感じているのかと思います。これは未だ成長し続けなければならない、という資本主義への問いかけなのかと感じます。
これらの中で、個人はどのように希望を抱いて生きていけばいいのかー。
希望の国のエクソダスという小説は既得権益にすがる大人たちへの批判、そして個人の希望の見出しを問いたものだったのかもしれません。
そして、その希望は国や共同体に与えられるのではなく、自分自身で見出すしかないのかもしれません。
似たような話では、アニメの「東のエデン」もオススメです。ぜひ見てみてください。↓
今回は以上です。
ーそれでは、また。