SF映画。ロバート・ゼメキス監督「コンタクト」感想
どうもタコヤキです。
今回はロバートゼメキス監督によるSF映画「コンタクト」です。
地球外生命体とのファーストコンタクトが物語のベースですが、人類の対立や宗教観、思想、化学、政治の要素を含んだ密度の濃い映画でした。
感想は一言は・・・「すっごい優しいSF」
基本情報
コンタクト
監督:ロバート・ゼメキス
脚本:マイケル・ゴールデンバーグ
製作:ステイーブ・スターキー
音楽:アラン・シルベストリ
公開日:1997年
上映時間:153分
簡単なあらすじ
SETI(地球外知的生命体探査)の一員である主人公エリーは、研究予算を削られながらも研究をしている。そんな中でヴェガから有意な電波信号をキャッチし、地球外生命体の存在を確信する。だが、電波信号の内容が政府をはじめとする様々な勢力が介入してくる。政治や宗教観で揺れ動かされる研究、そして地球外生命体とのファーストコンタクトは果たされるのか・・・
コンタクトの見所
・ファーストコンタクトSFだけど人間の対立を描いている
・宗教、政治といったデリケートな内容を繊細に描いている。
・めっちゃ丁寧に作られてる
どんな人にオススメ?
・思想対立するものが好きな人
・SF映画が好きな人
・丁寧なシナリオが好きな人
どんな人には勧められない?
・長めの映画が好きではない人
・宗教などにアレルギーがある人
どんな作品が好きな人にオススメ?
・メッセージ
・オデッセイ
・E・T
メッセージの記事はこちらです↓
感想:対立はしていたけど、最終的に優しいSF
この「コンタクト」という映画は、地球外生命体とのファーストコンタクトよりも人類同士のいざこざや、対立をメインテーマにあります。
中盤あたりは政治的なもので、有意電波信号をキャッチしたエリーが思ったように研究を進められず、めちゃくちゃ横槍を突かれている流れが多いです。まぁ、国防的な問題もあるし、マスメディアの問題もありますからね。
けど、この映画の一番の注目するところは宗教と科学の対立ですね。
エリーは科学者なので、神を信じている人たちが理解できません。
その理由は神の実証ができないからです。
けれども作中でエリーは「父親を好きでいたことを実証できるか?」と尋ねられて、言葉を詰まらせます。確かに好きや信じているものを実証することはできないですよね。
宗教と化学の対立はさらにこの映画で深まります。
宇宙船に乗ることを志望したエリーは、人類の95%が信じている宗教を否定している人を宇宙船に乗せるわけにはいかないと告げられてしまいます。
対立はさらに深まり、やがては死者まででてしまいます。
地球外生命体とのファーストコンタクト後は、両者は和解する描写があって、この映画は幕を閉じます。
けど、僕はこの映画は科学と宗教の和解ではないと思います。
むしろ人間の孤独を描いた映画。
作中のファーストコンタクトで人類は孤独ではないと地球外生命体に言われます。
この映画では「孤独」が大きな意味を持つ。
エリーは父親を失い、孤独を味わっていました。科学を通じて父親に会いたいと無意識的に思っていました。このことはファーストコンタクトのシーンでわかります。
おそらく、この地球外生命体は見る人が一番欲しているものに姿を変える。
もしエリーに科学がなかったら、彼女はどうなっていたのか。父親という存在と記憶がなかったらどうなるのか。
エリーが科学に触れられる環境、あるいは父親と接点がなかったら、彼女だって宗教を信じていたかもしれません。
人間は孤独を埋めるために何かを信じているのではないかと思います。
その信じる対象が世界的に一番ポピュラーなのが、宗教。
何かを信じていないと孤独で押しつぶされてしまう。
エリーは最終的にファーストコンタクトの記憶をすべて忘れてしまいます。
しかし、彼女の心に残った強烈な気持ちだけは消え去っていません。
理由も実証もできない体験。エリーはそれを信じたいと涙ながらに語る。
これは他の人からみたら、エリーがかつて神を信じる人たちを理解できなかったように、他の人もエリーが何を信じているのか理解できません。
そういった意味で宗教と科学は信じるものが違うだけで、本質的に両者が目指しているもの、願っているものは違ったものではないのです。
そういう意味で両者はようやく自分達は対立するものではなく、信じているものが違うだけで、手を取り合える仲だということを理解します。我々は孤独を共有している仲間だと。
だからこそ手を取り合えるし、人は孤独ではないんです。
簡単に言えば、手段は違えど目指している場所は同じところです。そこに宗教や科学という手段の違いはあれど、目指すところは同じ。
と、そんなことを思いました。
今回は以上です。
-それでは、また。