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無職に心沁みる物語。「電気サーカス」感想

 

こんにちは、タコヤキです。

 

唐辺葉介「電気サーカス」を読みました。その感想です。

 

 

この小説の物語の大半は、インターネット黎明期の頃にネットにハマり、モラトリアムをひたすら引き伸ばした若者達を描いています。

 

実際に出てくるガンダムなどといったワードに感じる親近感、社会のど底辺にいるけど何故か憎めないキャラたち、甘い沼にいるかのような中毒性は読み終わった後に、夢から醒めた感覚を覚えます。

 

それにしても切ない物語だった。
シェアハウスに集まって、薬に浸り、定職につかずに、ふらふらしている若者達。
崩壊は必然であり、インターネットで繋がった人たちはいつの間にか消えていったり、シェアハウスの住人が徐々に退去していく過程はとても胸を締め付けられる。まさに夢の終わりです。

 

主人公は最終的には就職するんですけど、彼の本質ってものはこの物語でほとんど変化していないです。

 

彼の本質は病棟で分かります。


彼は希望や欲望がない。これまでの人生で何かを欲したいよいうな気がしていたのは、そうでなければいけないという義務感からだった。

 

精神病棟に自分から入った時は、その環境を絶賛しています。途中で病棟を出ますが、理由は単純に経済的なものでした。ここにはまた、入ることができる。しかし、就職はそうはいかない。それなら今は入院費を作るべきだ、と。

 

そこから主人公は就職するのですが、そこからは仕事を変えつつも仕事漬けの毎日となります。また、病棟に入りたいかどうかは描写では分かりませんが、病棟にいたときより感情の起伏が少ないですし、主人公が今何を望んでいるのかわかりません。

 

最終的にシェアハウスで飼っていた鳥が死んで埋葬してこの物語は幕を閉じるのですが、その時に主人公の脳裏に浮かんだ過去のフラッシュバックが印象的でした。

 

幸福であるにしろ、不幸であるにしろ、生きなければいけないのだから。

 

精神病棟は彼にとってのセーフティネットとして映ったのかもしれません。
いざとなればここに行けばいい、だから今は生きる努力をしよう、と。

他のネットで知り合った人たちも新しい居場所を作っています。彼らは死ななくてよかったと言っています。これがこの小説の肝だと僕は思います。

 

確かに今いるところや、これから行く道は不幸かもしれない。居場所を奪われるかもしれない。けれど、そこで死を選ぶ必要はない。また居場所を作ればいい、流れても居場所を作ったり、探せばいい。それは倒れるまで続く。

 

主人公にとって、その居場所は病棟の時もあった。シェアハウスの時もあった。仕事の時もあった。一家離散し、居場所を転々とし、何度も自殺しかけた主人公の視点だからこそ描けた、自殺の否定。生の肯定。

 

この小説は幸福か不幸よりも生きる事を肯定し、自殺の否定した小説だと僕は思います
全ての人に読んでもらいたい一冊でした。

 

唐辺葉介の書く物語はどれも傍から見たら絶望的は話が多いです。
しかし、最終的にはどれも自殺することを否定している文脈が多いと感じます。
鬱に近い人はどっぷり嵌ってしまう、そんな麻薬のような小説でした。

 

唐辺葉介の他の作品もぜひ読んで見てください。

 

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今回は以上です。
ーそれでは、また。