スポンサードリンク

【書評】村田沙耶香さんの「コンビニ人間」はマイノリティに刺さるエグい作品

 

f:id:takoyakitanosiku:20190312230425j:plain

 どうも、タコヤキです。
 またまた久しぶりの更新です。

 冬は駄目ですね。気力とかすべてもってかれます。仕事もちょっと忙しかったですが、ようやく更新できました。もうちょっと、更新頻度上げれるようにがんばります。

 今回は村田沙耶香さんのコンビニ人間という小説の感想です。

 


 いやー、これは心にぶっ刺さる人には、ぶっ刺さります。逆に刺さらない人はマジで、理解できないのではないでしょうか。

 刺さらない人は恐らく、現実でそこそこなんとかやっていけてるような人な気がします。「コンビニ人間」が刺さる人は、どこか似たようなものを抱えている人でしょう。
僕もそんなものを抱えた人間の一人です。

コンビニ人間」が刺さった人はちょっと寄って、読んでみて下さい。

・「コンビニ人間」の見ている世界

 僕自身はなんとかサラリーマンをやれているわけだけど、「コンビニ人間」の主人公は、本当にコンビニだけにしか社会の接点が作れないような人でした。

 普通というものを世間というものは、やけに信仰していて、普通に近づけない人は異端者として排除される。僕も似たようなことを感じたことがあります。

 ここまでは、よくある話なんですが本作の主人公は、本当に個人や自己というものが不在で、まさにロボットのような人間。彼女の居場所はマニュアル化されて、オートマチックに回っていくコンビニしか、社会に接続されるところがなかったのです。コンビニだけが彼女を社会の一員でいられる場所であった。

 だからプライベートな質問をされると彼女はどんどんバグを出していきます。プライベートの彼女は何者でもなく、空虚な生物です。実際にコンビニ店員以外の彼女の主観は、徹底して自分も他人も一生物としか見ていません。多分ですけど、動く肉の塊ぐらいの認識なのではないでしょうか。

 彼女はコンビニだと、コンビニを回す歯車として自分も他人もコンビニの一部として認識することができます。それは、マニュアル化されて役割も存在意義もはっきりしている世界です。役割がはっきりしているから、彼女は部品としてやり過ごすことができました。

 一方、プライベートの彼女の世界はとにかく空虚。何のために他人がいるかも理解できないような認識です。妹との関係やコンビニ働く上で、面倒なことになるから、世間が求めているような「普通像」を演じています。彼女にとって、他人は本当に意味のない存在でしかないのでしょう。

 

 要するに、彼女にとって他人の存在は全く価値のないもの。


 彼女が理解でき、演じられる役割はコンビニ店員だけだったのです。
 だから彼女の世界は、コンビニを中心に回っています。コンビニは彼女に役割を与える存在。彼女にとって、コンビニは神といっても差し支えないでしょう。 

・普通側にいくこと

 コンビニ人間のような人間は、リアルの世界でも一定数いると思います。
 多様性とか個人の時代とか言ってますが、人間は流されやすい生き物なので、普通という多数決的な概念は人間である限り消えることはないのではないかと思います。

 いわゆる世間で問題なくやっていける普通の人々が自然と作り出す概念。そういった多数決による様式の暴力と煩わしさは、思い当たる人なら誰しも感じたことのあるものだと思います。

 その普通にうんざりして、普通から大きく外れる人もいれば、先天的に不可能な人もいる。普通に近づく努力をして、壊れてしまう人も少なくない。

 

 普通側に行くことは、本当に難しくて苦しく、煩わしい。

 

 そんなことを感じている人間に、普通側の人間は容赦なんてしない。自分たちで勝手にルールを作り、裁判を始める。本作では人生を強姦すると表現しているが、案外的を得ているのではないかと思う。

 普通ってやつらの靴を舐めなくても生きていける人は、何か能力的に突出していて、それが社会的に価値あるものなんだと思う。
 けど、そういったものを持っていない人たちは、普通ってやつらの靴を舐めて尻尾を振らなければ、生きることはハードになる。中には死んだ方が楽って人もいるだろう。

 僕は普通ってやつの靴を必死に舐めて生きてきた方の人間だ。なんでそうしたかっていうと、それがなんとかできて、尚且つそれでやっていけたからだ。今でもギリギリ普通をやれていると思う。

 煩わしさは確かにある。

 仕事によってはまさにコンビニ人間のような感じになってしまう場合もあるだろう。自分も何か違っていたら、普通ってやつに殺されていたのかもしれない。

コンビニ人間に近い人たちはどう生きるか

 コンビニ人間に近い人たちは、多分だけど社会の日陰者が多い。とは言っても、最近はネットのおかげで、コンビニ人間っぽい人が活躍したり、なんとか生活できるパターンも増えてきたと思う。依然として日陰者には変わりないけど。

 けど、それでいいのではないかと思う。
 コンビニ人間に近い人は、普通ってやつが駄目なのだから、光が当たるようなところで活躍しても、なんかその人は辛さを感じてしまうのではないかと思う。

 コンビニ人間に近い人に必要なのは、ある程度の絶対ラインかなと思う。
 こっから先は踏み込んでいいけど、これより先はマジで止めて。みたいな。

 

 自分は他人との相互理解なんてあり得ないと思っている。


 けど、他人を理解できなくても、そっとしておいたり、仕事を回すことは不可能じゃない。そのためには多くの人が妥協しなければいけない問題があるが。

 

 だけど、むしろそれこそが人類の知恵ってやつなのではないかと思う。


 妥協することで不満が募ったりするかもしれないけど、ボコボコに排除される人間が減るのならそれでいいのではないか。幸せは他のところでも見いだせると思うし。

 だから普通側の人たちにお願いしたいのは、裁かないでくれ。そして、あんまり普通とかそういうものを求めないでほしい。認めなくてもいいから、許してほしい。

 

 けど、そんな都合のいい話は中々ない。


 だから、僕らも普通ってやつの靴を舐める努力は必要な気がする。
 その行為は決して、喜ばしいことじゃないけど、コンビニ人間のような人たちが静かにやっていくためには、ある程度必要なことだと思う。

 許されるのなら、そんな辛さを味わうことなく、静かに生きていたいのだけど。けど、現状やっていくしかないんだと思う。
 

 今回は以上です。

 ーそれでは、また。