心地良い日常。保坂和志作、小説「プレーンソング」感想
どうも、タコヤキです。
保坂和志の「プレーンソング」という小説を読みました。
短い小説で、読みやすいです。
なんというか終始穏やかで、特別なストーリーがあるわけではないんだけど、ふんわりとした雰囲気が永遠と続くような現実のようで夢のような小説でした。
プレーンソングはどんな人にオススメ?
・穏やかな小説が好きな人
・猫が好きな人
逆にどんな人にはオススメできない?
・奇想天外なストーリーを求めている人
・分厚い小説が好きな人
感想:何故この小説に心惹かれたのであろう?
プレーンソングは驚くような話や面白い話はでてこない。
とある社会人の男の部屋に学生時代の友達が遊びにきたり、会社の同僚と競馬の話をしたり、猫と戯れたり、などというどこにでもありそうな話が永遠と続いていく。
その日常を主人公の主観から覗いているような感覚だ。
確かになにか特別なことも起きないが、どこか楽しそうで穏やか。猫と戯れている姿もなんだか和む。気持ちのいい風景が流れていく。
人物の書き方もちょっと凝っている。
主人公の視点で語られていくプレーンソング。けれど、主人公が自発的に何かに興味を持ったり、行動したりすることはあまりない。気分や流れで受動的に動いている。
周りには人が集まるが、友人でもそこまで深い詮索はしないし、興味を持っていない。それゆえなのか他の登場人物の行動は心理は理解できないが、独特のテンポと性格を持っている。
同じ場所にはよく集まるが、どこか足並みはそろっていないし、会話もかみ合わない。けれど、一緒にいても嫌な気持ちもせず、馬鹿馬鹿しいことでもなんだか楽しく感じる。
そんなゆるい関係が雲のように流れ、続いている。穏やかけどどこか空虚。けれど、どこか心地よさを感じる。そして、どこか懐かしさを感じる。このノスタルジアはどこから来るのだろうか?不思議だ。
自然のように集まった人たちが、自然の如くのろのろ行動する。
そして、自分の呼吸が他人と自然と絡んでいく。プレーンソングの登場人物はそうやって集まった人たちの話だ。
この小説の心地よさの正体はここにあるのかもしれない。
無理やり構成された人間関係ではなく、波長の合う人たちとなんとなく過ごす。話したくない話はせず、楽しそうでゆるい話をする。実際に主人公の会社の話なんて全く出てこないし、プライベートの話も進んでしているわけではない。
彼らは自然と引き合っているのだ。そんな風に自然と集まった中だから、会話もそんな自然状態の中から生まれる。会話の意味なんてなくていいのだ。そんな自然状態が心地よいから。
現代社会ではそんな風に自然に人と関係を保つのは難しいだろう。
なぜなら、現代社会で人間関係を構築するにはどこかで自分を矯正させる必要があるからだ。社会に価値を出したり、承認欲求を満たしたり、稼ぐために。自然状態になれる場所があまりにも少ないのだ。もしかしたら、それがこの現代の息苦しさの正体なのかもしれない。
プレーンソングは自分を矯正する必要がある現代社会とはかけ離れた日常が描かれている。ノスタルジアを感じるのも、どこかそういう風に暮らしてきた僕らが過去にいたのかもしれない。そう考えると、なんだかとても悲しい話にも思えてくる。
プレーンソングは御伽噺のような日常なのかもしれない。