圧倒的映像美と哀愁。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督「ブレードランナー2049」感想!
どうも、タコヤキです。
ついに見てきました。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による「ブレードランナー2049」!
SF映画の名作の中の名作であるリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」の正式な続編となります。
前作はこちらからどうぞ。
原作の小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もチェックです。
今回の「2049」はファンの中では期待と不安、疑惑がすごい作品となっていた作品だと思います。前作が名作すぎるので。
しかし、これは傑作に入る部類に君臨しています。
前作のファンもそうでない人もぜひ見て欲しい、SFとなりました。
ぜひとも堪能してほしい、作品です。
~ブレードランナー2049はどんな人にオススメか?~
・前作のブレードランナーが好きな人
・攻殻機動隊が好きな人
・SF映画が好きな人
~どんな人には向いていない?~
・眠たくなるような描写がある映画が好きではない人
・SFが好きでない人
~どんな作品が好きな人に向いている?~
・ブレードランナー
・攻殻機動隊
・エクス・マキナ
映像に関して
しかし、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は見事に前作の世界観と雰囲気を継承していました。
哲学チックな美術や音響、世界の退廃感を見事に再現しています。
映像的には圧巻の一言でした。
個人的にはジョイの映像が素晴らしいと感じました。
ジョイはAIで、身体を持たないバーチャルなキャラなのですが、感情を持っているかのような振る舞いと、バーチャル的な映像など、緻密にバーチャルの人物としての描写が細かいところに感動しました。
他にも町並みは押井守版の「攻殻機動隊」を彷彿させるような、ぐちゃぐちゃした感じと企業のCM。
圧倒的な情報量で描いている町並みと映像は前作にも負けないほどのものとなっています。
シナリオについて(ネタバレあり)
前作は人間とレプリカントの境界は何か、人間としての命とは何かという感じのテーマでしたが、今回はそれとは微妙に違います。
ライアン・ゴズリングが演じている、捜査官Kは人間と思われるものから、差別され、旧型のレプリカントを解任するしていくという、憂鬱で単調な毎日でした。
彼は特に希望もなく、粛々と仕事をこなしてきましたが、ある事件をきっかけに、自分の記憶に疑いを持ち始め、やがて自分はレプリカントでありながら、誰かの愛を受けて誕生した特別な人間なのではないかと思うようになります。
その後はひたすら事件を追いながらも、自分の出生を探し始めましたが、結局はなんの特別な何かはなく、仕事をこなすだけのレプリカントだという事実に直面してしまいます。
Kに植えつけられていた記憶は、レプリカントの子供の居場所を探らせないようにする、カモフラージュのようなものでした。
愛を持って奇跡の出産をしたのは別のレプリカントであり、そのレプリカントと生まれた子供は他のレプリカントにとっては希望の象徴となっていました。
Kは絶望しながらも、子供を生んだレプリカントの父親である、デッカード(ハリソン・フォード)と接触をします。
会社に睨まれながらも、デッカードを守り、子供に会いにいかせるK。
そして目的を果たしたKは静かに雪の降る中で、目を閉じます。
キャラクターについて
捜査官K(ライアン・ゴズリング)
何者かになれると期待させられて、絶望に突き落とされる。
彼のラストシーンはあまりにも儚く、切ないものでした。
AIであるジョイとの邂逅も、自分探しも結局は大して意味はなく、全てはプログラムされていました。そして、最終的にはレプリカントとして労働に尽くすことになりました。
ジョイとの愛情も、デッカードを追っていたのも、自分の記憶も全てプログラムされていた彼にとっては、唯一感じ取れる純粋な感覚は、最後の雪の冷たさだけだったのかもしれません。
レプリカントの人生は過酷と作中では示唆されていましたが、本当に悲惨なものでした。
何者になることも許されず、他人の都合で使い捨てられるだけの労働力として使われるだけなのですから。
なまじ、希望をもってしまったがために、絶望の度合いも大きなものとなってしまった感じです。最後にデッカードを守り抜いたのは、レプリカントだったからなのか、それとも本人の意地なのかは分かりません。
本当に切ない人物でした。
ラヴ
レプリカントを製造している会社の一番できの良いレプリカント。
彼女も強く印象に残るキャラでした。
彼女の最大の謎ははやり時々みせる涙でしょう。
彼女は仕事を的確にこなす優秀なレプリカントですが、それは性能が良いだけで、本質的には使い捨ての労働力となんら変わりはなく、Kと大差ない存在でした。
しかし、Kとの違うところは自分探しのところにあると思います。
Kは自分の出生に希望を見出し、自分探しをしますが、ラブにはそれすらの自由もありません。
彼女は希望を持つこともなく、絶望も味わうこともできない、レプリカントとしては高性能のものです。
彼女の涙はそういったものを感じることすらできないことへの無意識的な涙なのではないかと思います。
そう考えると作中で最も悲劇的な人物はラブかもしれません。
デッカード(ハリソン・フォード)
本作のもう一人の主人公。
結果的には彼は、自分の娘に会うことになります。
レプリカントにとっては、子供同様に希望の象徴となっている人物ですので、本作では神輿のような状態です。
しかし、年老いた感じが良かったです。かっこいい。
ジョイ
Kの生活補助?のようなAI。
愛情を育んでいるように見えますが、所詮はプログラムから成り立っているものなのです。
しかし、彼女が雨に濡れるシーンや、体が欲しいと発いった発言は自我が目覚めていることでよいのでしょうか。
それとも、それもプログラムされたものなのでしょうか。
どちらにしてもKとともに過したジョイのデータは作中で破壊されてしまいましたので、Kのジョイが元に戻ることはありません。
あるのは製品としてのジョイだけです。
これもなんとも切ないものです・・・。
最後に
Kにとってのこの物語はなんだったのか。
ただの使い捨ての労働者であるという現実を突きつけられたK。
それでもレプリカントの希望を守るために奔走するK。
絶望だが、確かに希望も存在していた。
何もかもプログラムされた世界で、何かに希望を見出そうとするKは本当に見ていて痛々しく、悲しいものとして映ります。
そして、この世界やデッカードの行く先はどうなるのか。
ここも気になるところですが、それは描かれていません。
レプリカントが愛を実現させることは可能なのでしょうか・・・