結局、自己責任論はポジショントーク
どうも、ダイナマイトエクスプロージョン中のタコヤキです。
最近思ったんですけど、自己責任論って完全にポジショントークでしかないです。
自己責任論をやたらめったら叫ぶ人って、現時点でそれなりに地位がある人です。
中間層で声高らかに自己責任論を振りかざしている人ってあまりみかけません。これ、僕の感想ですけど。(ひろゆき)
自己責任論って結局、周りに迷惑をかけるな。ってことですから、現時点で周りの世話になる必要のない人しか自己責任論を唱える人はいません。少なくとも来月の食いぶちに頭を悩ませている人は、そんなこと考える暇もないでしょう。そう考えると、自己責任論は余裕のある人のポジショントークでしかありません。
そりゃその人は努力したんでしょうけど。でも、そうでない人もいるし、失敗してしまった人もいるのも事実。
そもそも自己責任論って自分に対する覚悟や心構えのことであり、他者批判で使われる言葉ではないです。
子供に自己責任で物事を考えるんだぞ、というのは良いと思いますが、例えば子供が骨折して自己責任と責めるのはなんだかおかしい気がします。ましてや手助けしないというのは。1つの教育方針としてはあるかもしれないけど、一般的か、といわれるとなんか変だ。
全部が全部自己責任でないとは言いません。もちろんある程度は自分で選択した自己責任だと思いますが、100%自己責任というのははやりおかしい。努力できる環境を作る手助けくらいはあっていいと思う。
例えばニートだって何十万人いるのだから、れっきとした社会問題だ。社会問題をを自己責任と割り切るなら、国家の存在意義が薄れる。
それに自己責任もかなりケースバイケースによるところが多いので、全てを自己責任で済ますのは思考停止しているとしか思えない。もしくは問題丸投げ。
結局、それなりに地位がある人の自己責任論って暴論に聞こえるし、私はこの問題は知りませんって放棄している感じがある。自己責任論を強く言えるのは成功している人や、安全圏にいる人だけ。
成功者はマイノリティーなんだから、成功者の言葉を一般論として捉えるのは危険だ。
全ての問題をカバーすることは無理でもそれなりの対策は必要だ。
国で主導できないのなら、NPO団体だってある。
困ったら助けを求めていい。
あまり自己責任というポジショントークに頭を悩ませないほうがいいし、失敗した自分を必要以上に責める必要はない。
自己責任が世の中にまかり通ると、チャレンジする人が減ってしまいそうだ。そんな世の中は息苦しい。
自己責任は心構えの問題で、他者批判に使われるべき言葉ではない。
今回は以上です。
ーそれでは、また。