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この国の行き先は?劇場版「東のエデン」2作感想。

 


どうも、タコヤキです。
この前にアニメの東のエデンを見て、早速劇場版を見ました。

 

  

 

 評判はあんまり良くない感じでしたが、一気見すると、そんなにがっかり感がなかったと感じました。

 

 

 アニメシリーズの感想はこちらからどうぞ

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 あとあと思い出すと、あれはないなとか、これは違うなとかはありましたが、、、


 東のエデン、アニメシリーズの感想はこちらからどうぞ。劇場版よりも盛り上がってます。

 


シナリオについて

 

劇場版はアニメシリーズの少しあとの時間帯からスタートします。

この国を救うゲームが再び動きだし、劇場版2作で決着がつきます。

 


ゲームの仕掛け人である亜東の登場。
他の参加者の登場。
No1とNo10の末路。

 

気になるところが多くでてきます。


劇場版1は前半の内容となっており、派手な動きはそこまでありません。

しかし、劇場版2もアニメのラストみたいな派手さはありません。

どちらかというと、社会論的なものを聞いてる感じです。

 

自分は割とこの辺りは聞いてて面白かったのですが、エンタメとして考えたら、拍子抜けするところが確かにあると思います。

 

 

 


ラストで示した社会論(ネタバレ含みます)

 

 

 ラストシーンは滝沢が国民に電話であることを問いかけます。

 

 ニートには、豊洲のショッピングモールに集まり、現体制から脱却し、共に生きていくか否か。

 

 上がりをきめたおっさん(既得権益)には、既得権益を捨てるようにと。でなければ、ニート達が楽園に行き、労働力が無くなるぞと。


 この問いかけの答えあと、豊洲に行くニート、雇用体系を見直す大人などが現れますが、大人の態度はあまり変わらなかったということになってます。

 

 一方ニート豊洲でフリマ、物々交換などをして生きており、少しずつ元気を取り戻していったそうです。


 アニメシリーズでもこの国の現状、雇用体系は上がりをきめたおっさんを守るための体制となっています。

 

 ニートとはそんな体制への反発、テロ行為であると、滝沢は言います。

 

 しかし、そんなテロ行為はいつまでも続きはしないです。作中では相続税100%の法案を無理やり通そうとしている場面があり、ニートの生活ライン(親の金)を奪い取り、ニートというテロ行為は潰されそうでした。


 滝沢のニートへの豊洲に集まる呼び掛けは、おそらくニートによる、新しい体制、あるいは新しい国に来いということです。

 

 作中のラストはニートがフリマをやりながら生きています。

 これはニートによる新たな経済圏であり自治体です。 

 

 上がりをきめたおっさん達のもとで働いても、一向に豊かになれず、消耗され、捨てられるだけの体制からは十分な果実(金や生きがい)が得られません。

 

そんな体制のルールから脱却して、1から経済圏をニートが始めたのです。

 

 フリマというのはほぼほぼバーター取引、物々交換というところです。
 まだニートの新しい経済圏では当たり前のようにあった貨幣は存在しないのでしょう。


 だから貨幣が確立していく前の古典的な取引である物々交換から始まったのだと思います。

 

 これは現代でも見かけるものです。


 メルカリ、シェアハウス、仮想通貨。


 これらのもので、会社で働きお金を貰うという、当たり前だったお金の流れが、個人から個人へと流れが少しずつ、変化していきました。

 

 この流れが強くなると、国家ほどではないにしろ、小さな経済圏が出来る可能性がでてきます。

 

 ニート株式会社や山奥ニートがそれに値するのではないかと、僕は思います。

 

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 そのパイオニアニートの生活の工夫から成り立ってくると考えると、面白いオチであると思います。

 

 

おっさんたちは?

 

 ゲームの仕掛け人、亜東は最後にどんな気持ちでゲームを始めたかが語られます。

 

 亜東も若い時は右も左も分からぬ新人。
 必死になって生きてきました。ですが、今になってそのやり方は間違ってきたと言われ、老人になって生き方を変えろと言われるのは酷。

 

 そして、この国のを発展させてきたのは、歴史に残るような名のある特別な何者ではなく、泥臭いことをしてきた、名も無き一般人であるといいます。

 

  No1は一部の有能だけが社会を回せばいいという思想を持っています。
しかし、何者にもなれない無名の一般人だってがんばっているし、そんな名無しの一般人が少しずつ国を大きくしていきました。

 

 今の社会だってそれは変わりません。昔のような高度経済成長的ながんばりではないですが、ニートニートなりの価値観と努力をしているとフリマのシーンでわかります。
 
 これらの一連の行為がのうなるかは将来どうなるかは分かりませんが、昔のがんばって人たちもそれは一緒のことです。

 
 ラストシーンの亜東との会話は、若者と老人が手を取り合うという希望的な終わり方だったと思います。

 

 まとめ

 

 劇場版「東のエデン」はエンタメ要素には多少欠けるものの、社会的なテーマとして考えたら、一考する価値は十分にあるのではないかと思います。
 
 どんな形であれ、どんなことを周りから言われようと、やることはたくさんあります。


 ニートでもそうでない人でも前向きに捉えられる内容だったと思います。

 


 今回は以上です。
 -それでは、また。