立ち食い蕎麦屋がメチャクチャ好きな俺がその魅力を語ってく。
どうも、胸の奥に震えてる光と陰をだきしめたままのタコヤキです。
立ち食い蕎麦屋は第2のお袋の味です。
なんでかというと、僕は学生時代立ち食い蕎麦ばっか食べてたからです。
安い。
うまい。
汁物だから満腹感あり。
トッピング自由。
これがワンコイン以下って最高かよ。
しかーし、立ち食い蕎麦屋の魅力はこれだけではない。
立ち食い蕎麦はどこでもうまいが、僕は狭い立ち食い蕎麦の店が好きだ。
品川の駅のホームの蕎麦屋や、御茶ノ水の駅前の蕎麦屋。静岡に向かう時、乗り換えた駅のホームの蕎麦。
他にも探せばまだまだあるはず。
店が狭い立ち食い蕎麦屋は何故か他の普通の立ち食い蕎麦屋よりもうまく感じるのだ。
これはなんの効果でそうなっているのか不思議だが、僕の中で揺るぎない事実だ。
騙されたと思って一度食べてみて欲しい。
しかし何よりも狭い立ち食い蕎麦屋で好きなのは、客の譲り合い精神だ。
普通の飲食店では客が混むとイライラしている人が多いが、立ち食い蕎麦屋は違う。
みんなが譲り合いの精神をもっている。
これは僕の経験談だが、僕が蕎麦を食べ終わりお椀を返却しようとしたのだが、客がいっぱいで返却口に行けなかった。その蕎麦屋はほぼ一方通行の店なので、客が並ぶだけで店が一杯になってしまう。
どうしようか?と僕は思った。
すると目の前の食券を持って並んでいるおっちゃんが、くるりと僕に振り向き、僕のお椀を掴んだ。
そしておっちゃんは僕のお椀をおっちゃんのさらに前の人に渡した。
見も知らぬ人たちで、お椀のリレーが行われた。おっちゃんはにっこりとしていた。
僕はみんなにありがとうございますといい、店をでた。
なんだが不思議な温かさに包まれた感じだった。僕はその店が好きになり、小さくて狭い立ち食い蕎麦屋が大好きになった。
これは、銭湯の時とかも同じようなものを感じる。銭湯ではみんなが裸で、サラリーマンだろうが、金持ちだろうが、ニートだろうが、何も関係ない。みんな同じ人間となる。
だって、みんな裸だ。
何も比べるものがない。強いて言うなら、チ○○の大きさくらいだ。
立ち食い蕎麦屋も同じで、そこは腹を空かせた人間だけが来る。腹を空かした人間に上下なんてないだろう。
蕎麦屋や銭湯は僕の第2のお袋の味でありフルサトだと思ってる。何故かそこにいると安心する。
なにより一瞬で何か繋がった感じになれるのが好きなのかもしれない。
それは一瞬のことなのだけど、とても気持ちのいいものだ。
多分これからも定期的に僕は立ち食い蕎麦屋に行くのだろう。
今回は以上です。
ーそれでは、また。