何のために働くか?僕なりに考えてみた
雑談
こんにちは、タコヤキです。
今回は労働の価値観について僭越ながら書いていきたいと思います。
さて、みなさんは何のために働いていますか?
あんまり聞かれたくない事かもしれませんね。
ちなみに僕は今のところは生活費のためです。でもそから抜け出したいと色々行動しています。ブログもその一環ですね。
しかし世の中変わったなぁと思うのは、もうお金ある=幸せ
という価値観は揺らいできたというところです。
生活も年収100万で楽しく暮らしている人もいるし、ニートだって楽しく生きている人もいる。
世界では実験段階でベーシックインカムを実施するところもちらほら出てきている。
AIやロボット、自動化の流れで人の仕事は激減するなど考えればすごい時代に僕達は生きている。
そんな時代に働く意味ってなんだろうか?
僕なりに考えてみた。
昔の労働理由
・生活のためのお金(マイホーム買うの当たり前みたいな価値観)
・自己実現
・社会的な承認欲求(会社に属することで得られた)
・常識(働くのは義務)
実際に昔に働いたことは無いから分からないが、おおむねこんなところではないだろうか。
次は現代。
現代の労働理由
・生活のためのお金(昔より安くなった)
・自己実現
・社会的な承認欲求(会社で得る事は難しい)
・常識(崩壊中)
実は大して変わっていませんwwww
ですが、どれに比重を置くかは変わってきています。
昔 現代
生活のためのお金 >
自己実現 =
社会的な承認欲求 <
常識 ?
・生活のため
シェアハウスやAirbnbなどが普及して、昔より安くなってます。収入が減ったというのもありますが、基本的には生活費を安くしようというブームはまだまだ今後も強く、贅沢しなければ実際に安くはなってきているはず。
若い人たちが高級なものや車とかを必要としなくなってきているという嗜好もあり、生活は安くなった。
よって生活のために働いている人は減りつつあると思う。というか、生活のためのお金が少なくなった。
・自己実現
これは完全に主観になるからイーブン。だけど、昔みたいに現実だけではなく、ネットやゲームなどの仮想世界でも得られるようになりつつあるなと僕は思います。会社で出世するより、ゲームで活躍したいといったような価値観も生まれてきた。実現の仕方の方法が増えたというのはあると思う。
・社会的な承認欲求
いつ会社が潰れるかどうかわからない時代に会社によって承認欲求が満たされるというのは難しいのではないかと思う。こうなるとお金を持っている人は必然と承認を得られるが、そうでない人は全然得られなくなってしまう。稼げないので社会との接点が消失してしまう。ニートや引きこもりが多い分、社会的な承認欲求は今のほうが強いのではないのだろうか。つながりを得たいというのは増大した気がする。
・常識
これは完全に崩壊している。比べる事ができない。価値観が多様化し、1本の物差しでは計れなくなった。
とりあえず従来の働き方は見直されている段階にはあり、明らかに変わってきている。
働かなくてもいいという人も増えた気がする。
どうだろうか?完全に僕の主観と思い込みであるが。
僕はこれから生活費の比重が減っていくと思っている。
これは自動化やベーシックインカム理論が普及し、その制度が何かしらの形で現れてくるのではないかと思うからだ。仕事が少なくなるから、働いて得たお金で生活するというのが、一般的でなくなっていく。
となるとフォーカスが当てられるのは自己実現と承認欲求だ。
承認欲求は何かしらのコミュニティを作ったり、参加し、社会性を有し、承認欲求を得る。というのは現代でもポピュラーなやり方になってきている(オフ会、シェアハウスなど)
これは会社で座れる席が減り、ネットで間単に人と人がつながれるようになったから普及したと思うので、今後もその流れは加速していくと思う。
自己実現は昔の画一的なやり方に比べて、やり方が代わって個人に分散し拡大していった。
今後もそれは加速するし、誰かに掲げられる目標より、自分で目標を立て、達成するというのはますます主流となっていくと思う。常識も変わっていくと思う。
働くという意味がだいぶ変わってきているというのは、間違いないと思います。お金のあり方も変わっていくでしょう。僕の今の働く意味は生活費がメインとなっていますが、できれば自己実現や承認欲求を満たせるような仕事をしていきたいと思います。できればその楽しさもシェアしたい。働くを楽しくして、旧来的な働くという概念を弱めたい。時間で拘束するような労働体系から脱出したい。
そんな事を考えながら僕もちょっとずつがんばっています。
働く事の意味。もう一度見直してみるのはどうでしょうか?
今回は以上となります。
ーそれでは、また。