サム・ペキンバーが描く男の暴力!「わらの犬」感想!
Netflixで映画漬けな日々を
こんにちは、タコヤキです。
昨日Netflixでサム・ペキンバーの「わらの犬」という映画を見ました。
びっくりしたのがなんで「わらの犬」が配信されてんだ!っていうとこです。
なぜかというと、この「わらの犬」ってリメイク版はよくツタヤにおいてあるんですけど、オリジナル版はあまり置いてないんです!(僕の経験上)
そしてNetflixにはサム・ペキンバーの名作「ワイルド・バンチ」や「ガルシアの首」、「ゲッタウェイ」などが配信されていません!なぜだ!?
なぜ、名作を差し置いて「わらの犬」だけNetflixに?
と疑問に思いました。Netflixさん、はやく他のサムペキンバー作品も配信してあげて(泣)
しかし、「わらの犬」はツタヤとかには中々置いてありません。見たい人はすぐにNetflixに登録したほうが良いと思います。
~わらの犬はどんな人にオススメ?~
・昔のしぶい映画が好きな人
・サム・ペキンバーが好きな人
・人間の狂気を描いたような作品が好きな人
~逆にどんな人にはすすめられない?~
・古臭い映画は無理だ!っていう人
・暴力映画は生理的にちょっと・・・っていう人
~どんな作品が好きな人にオススメ?~
・ワイルド・バンチ
・ソナチネ
~wikipediaであらすじをチェック!~
この映画は好き嫌い分かれるタイプだと思います。
まず最初がかなり退屈だし、いまいち状況がよく飲み込めないところがあります。
面白くなるのは後半の篭城したところからですね、サムペキンバーの暴力が炸裂します。
この映画、数学者のデイヴィットと妻のエイミーががだんだんと村の人の暴力に巻き込まれていき、結局人殺しまで発展してしまうっていうのが大筋なんですが、ディヴィットが徐々に暴力的になっていくのが怖いですね。
村の人はただ暴力をわいわい楽しんでいるような幼い感じがありますが、篭城してからのデイヴィッドはねじが一本外れたみたいなところがある。
最初は話し合いとかでなんとか村の人たちといざこざの解決をしようとするのですが、少佐が死んでからは、冷静に一人一人をぼこぼこにします。もはや映画前半の物静かなデイヴィットとは違い、静かに暴力を振るう一種のモンスターです。
そのデイヴィットがモンスターになる過程で、元から夫に不信感を抱いていたエイミーは村人側につこうとするのですが、デイヴィットは力づくでエイミーを従わせます。
このシーンがこの映画のテーマが一番つまったシーンだと思います。
夫だろうが本能的な暴力に目覚めると他者を無理やり支配するような暴力を振るう。
その一番の本質のところを描いたようなシーン。
これって村の人たちがエイミーに乱暴したときと、ほとんどなにも変わらないんです。力で無理やり従わせるような暴力。
やり方や立ち位置が違うだけで、村の人が行った暴力も、デイヴィットが行った暴力も本質的には同じです。
そのような暴力をエイミーはこの映画では余すとこなく受ける悲惨なキャラクターであり、中心人物です。この映画は彼女を中心にして見るほうが、テーマ性も男の暴力も感じられると思う。
エイミーは全く悪くないかどうかと言われたら、良くないところもあったし、自分勝手なところもたくさんあります。でもそんな彼女の意図したところを全て暴力でねじ伏せられるとういうのは悲惨でしかありません。
この映画を見たとき男性と女性でだいぶ感じ方が違うのではないでしょうか。
そういうところからもこの映画は評価が分かれるなと思います。
サム・ペキンバーは暴力の映画で有名ですが、「わらの犬」も男の暴力の本質を突いたような映画でした。
どんな人にオススメか?って言われると、難しいですね。北野武の「ソナチネ」とか好きな人は楽しめると思う。万人にはオススメするような作品じゃないかな。園子温の「冷たい熱帯魚」とか好きな人もいいかも。
ちなみに僕の一番好きなサム・ペキンバー作品は「戦争のはらわた」です。
という訳で、映画「わらの犬」の感想でした。
ーそれでは、また。